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執筆者の写真日野晃

自分の進む道は

ドラムの部品が届いたので、改造した。 おかげでペタルが少し遠くへ行ってしまった。 ま、それの方がつま先を使うのには都合が良い。 もちろん、叩き込まなければ分からないが、現在のところ良い調子だ。

東京の弟子が私の14,5年前のブログをFBにアップしてくれている。 今日は、15年前の正月で、息子と9年ぶりに正月を一緒に過ごした事が書いてあった。 おかげで、それより昔の現役時代を思い出した。

「嫌われる勇気」という名の本が数年前流行った。 「何で、嫌われるのに勇気がいるのか?」と不思議でならなかった。

現役ミュージシャンの頃は、常に嫌われていた。 「あきらの音は大きすぎて邪魔や、何も聞こえなくなる」てな調子だ。 「何を叩いているのか分からない」というのもあった。 そらそうだ。舞台であろうが、ライブであろうが、徹底的に自分のアイディアを試していたからだ。

極めつけはジャズ喫茶だ。 私がボーヤの頃から通っている店が難波にある。 そこのママやマスターに可愛がってもらっていた。 ボーヤでお金が無いから、モーニングも食べられない時、内緒でトーストを焼いてくれたりした。

そこは、周りに沢山のキャバレーやダンスホールがあったので、バンドマンのたまり場でもあった。 私が顔を出すと、その連中は急に声が小さくなった。 しばらくすると、さも時間が無いようなフリをして店を出ていったものだ。 私は、決まってジョン・コルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」をリクエストするから、「訳が分からん」と出ていくのだ。

嫌われている、そんな言葉は私の中には無い。 「好かれたい・嫌われたくない」そういったことに全く興味が無いからだ。 そこから考えると、そういった言葉を知っているから、その事に振り回されてしまうだけだ。

自分のやりたいことだけに興味を向ければよいのに。


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