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日野晃を聴いた

執筆者の写真: 日野晃日野晃

https://walkinosaka.xyz/archives/4137/?fbclid=IwAR3Vc5qyMJh0HdgNZLqQoHPMoEo61_MPLsVvXqeU18uB_gW0oTK-nGT245I これを書いてくれた人は、どのコンサートでもライブハウスでも、私の演奏を聴きに足を運んでくれていた。

阿部薫の名前は、この人から初めて聞いた。

もちろん、彼とは面識はなかった。


ある時、京大西部講堂でヨーロッパのフリージャズや、日本のフリージャズのミュージシャンが集まったコンサートがあり、私達トリオも出演していた。

出番前、練習台の前で手を慣らしていると、アルトサックスの音が聞こえて来た。

「ええ感じやな、誰や?」と音の鳴る方に行くと、どうでもいい様な服装で童顔の同年代の男が吹いていた。

私は後ろに座って聞いていた。

彼が吹くのを止めるのを待った。


私は「俺、ドラムのアキラ、一回一緒に演らへんか?」と切り出した。

男は「いいよ、次は自分たちの出番だから、そこで一緒にやろう」

となった。


フリージャズにルールは無い。

曲もなければ、まどろっこしい約束も無い。

あるのは只々感性だけだ。

その感性を信じるだけだ。

だから、こういった無謀な事が可能なのだ。


ステージには男の属するメンバー達と、私のトリオが乗った。

客席はざわついていた。

そらそうだ。

プログラムにはないからだ。

約束は無いと言ったが、私はこの男のアルトサックスとまず対で演りたかったから、最初はデュオで始まる事だけは決めた。

男がいきなり吹いた、いや吠えた!


私は震えた、もちろん、嬉しくてだ。

ドラムも吠えた。

客席は2人の創り出す音に緊張に包まれ、静寂そのものになっていった。

男の名前は阿部薫といった。

それが私と阿部との出会いだ。


演奏後、演奏で意気投合したから、私のトリオでツアーをする約束をして別れた。

それから25年。

11年前の「還暦コンサートLa Fiesta134」を演った。


そこに足を運んでくれたのが、ブログの主だ。


60年代70年代、それぞれの思いの詰まった時間だった。


4月12日大阪心斎橋大丸劇場で「古希の力Real'71」のコンサートをする。

還暦からの10年間は、武道の世界で身体の可能性を証明してきた。

その可能性は、もちろん肉体の、では無い。

身体、つまり、感性も何もかもひっくるめての人の可能性だ。


還暦コンサートをサポートしてくれたピアノの田中武久さんもお亡くなりになった。

私の盟友ともいうべき、ベースも亡くなった。

みんな、もうそんな年齢になっていた。


しかし私は運よく生きている。

生きているという事はどういうことか。

「俺が『今』生きている」その事をこのコンサートでは証明する。

10年前よりも、柔軟に、そして自在になっている「私」。

「生きているとはこういうことだ!」

俺が60年代から求めた音は、生命の鼓動へと帰結した。

私が『今』生きている、71歳古希!

 
 
 

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